来年で教師を始めて10年目になります。


教師とは何なのか?

学びとは何なのか?



これからの時代、教師はどういう変化に対応しどういう教師・学びを目指さなくてはならないのか。


真剣に考える時代がもうすでに来ています。


教育改革が必要だと言われてからもう何年もたっています。


しかし、学校教育や教師はどれだけ変わっているでしょうか?


学校の教室には教壇があり、机が並び、チャイムと同時にみんなが座り先生が来る。


起立、礼から始まり先生の話を聞き先生の質問に答え、起立、礼で終わる。


いやいや!!

教育改革が始まって主体的で対話的な学びが推奨されているからそんな学校ばかりじゃない。


アクティブラーニングやいろんな授業形式を実践している人や学校もある。


世の中にいろんな実践例もあるし、知らないのか??


インターネット上にもあるし本でも多くの実践が紹介されていると言いたくなるかもしれません。


自分で言うのも何ですが比較的、見たり読んだりしているほうだと思います。



教師として今、現場で働いている実感として確かに変化をしてる人はいます。


実践してる人、危機感を持っている教師もいっぱいいます。


日々の実践でいろんな取組をしようとしている人もいます。


その変化が広がっていけばいいと思っています。


でも、僕が言いたいことはそういうことではないです。


大切にしなくてはいけないこと。

忘れてはいけないことは何なのか。




日本が昔、寺子屋で学びを行っていたころはけして今のような学びの形ではなかったです。

寺子屋の風景

わちゃわちゃしているように見えませんか??

そうです。

今の時代の教室にあてはめたら怒られそう。

とか思いませんか??


全員が授業中にまっすぐに座っていることがかなり重要視されてきていました。


それはそういうほうが社会に出たときに都合が良かったからです。

だから座って話しを聞かせるという教育が行われてきたのです。


話がそれました。


何が言いたいか。


これからの教育において必要なこと


「学びたい」


という気持ちを作ることだと思っています。


それを教師が作ってあげるではないです。


一緒に作っていくこと。


これがかなり大切なことだと思います。


生徒は学びたい、学ぶことが楽しいと築けば勝手に学びます。


そのために教師、インターネット、友達、本などいろんなものを使います。


そして、自分の仮説に対する検証を重ねて結論を導き、また新しい仮説を作ります。


子どもの頃、自分たちだけの遊びを作った経験を思い出していください。


紙飛行機の折り方を工夫したことを思い出して下さい。


人よりどうやったら長く飛ぶか、遠く飛ぶかを考えたこと。


あれを遊びだと言うことをやめましょう。


学びと遊びの線引きをすることをやめましょう。


教師は何でも知っていなくてはいけないなんて考えもやめましょう。


分からないことは生徒に聞いたらいいんです。


教師も学ぶことを楽しめばいい。


みなさんはどう思いますか??


感想や意見お待ちしています。