先日、生徒に貸していた『革命のファンファーレ』が返って来ました。


中には1枚の紙が入っていました。


「自分に必要な情報がたくさんつまってました。」

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すごくいい感想だと思った。

ただ、情報を手に入れたという実感があるならすることは「行動」だけだ。



この生徒は大学受験をし、春からは大学生になるだろう。


どんな行動をするか楽しみでならない。


どんなことをやってもいい。


情報は世界中にあふれている。


行動・発信する機会は今この瞬間にもずっとある。


革命のファンファーレから得た情報をもとに適切な努力をすれば誰でも革命を起こせる。

今までの常識をアップデートする時代が来ている。


うまく今の時代の常識とマッチングさせているなと感じた事例があったので書いてみようと思う。


「荒野行動」というアプリの話だ。


フィールドに降りた100名程度のプレイヤーが生き残りをかけて戦う。


戦場サバイバルのようなゲームアプリである。


内容自体は新しいものではない。


しかし、かなりのダウンロード数で拡大していっている。


パソコンで同じようなゲームをしている友人から感想を聞いた。


パソコンゲームと比較するとクオリティは低いそうだ。



具体的には

イヤホンを着けてやっていると右に相手がいるときは正確に右から音が聞こえる。


相手が遠くから打った銃声は遠くから聞こえる。

といったことを教えてくれた。


「荒野行動」はそのあたりがあいまいだそうだ。


要するにパソコンゲームをやっていた知人の感覚ではこういう図式ができあがっている。


細かい部分の作り込みが足りていない = クオリティが低い。


だからゲームとして優秀ではない。


完璧なものが最上位にくるべきだ。


「荒野行動」のアプリを作ったスタッフの思考はおそらくそうではない。



まずゲームが脳を刺激する仕組みについて簡単に触れる。



(1)成功による達成感

(2)他の人に勝ったという優越感



これらを得ることで快楽物質が脳から分泌する。


さらに多くの快楽を得るために必要な要素としてこんなものがある。


・予測が難しいリスクのある不確実な環境。

・他者と比較して自分が優れているかが比較する物差しがある状況。

・仲間とのコミュニケーションで得られる楽しみがある。

・競争での勝利によって周りからすごいと承認される状況。



「荒野行動」はこれらがうまくゲーム内に存在している。


つまり、完成度が高いことはたいして問題ではない。


もっというと完成してない方がいいのである。


革命のファンファーレで言われている全員が「作り手」になれる要素が必要なのである。


操作性に不便さがあることが重要なのである。


さらにバグなんかがあるとなおいい。


任天堂64のマリオカートでコースアウトするとバグで一気にワープできた。


そういう発見を学校で言ってみんなで共有する。



それがすごい大事なことなのである。


正直僕も 「完成品 = 売れる物」だと思っていた。


『革命のファンファーレ』を読むまでには僕の中にはなかった常識である。


常識は変わる!!!


常識のアップデートを!!