研修マネジメント協働開発プログラム(近畿版)

 奈良県で開催された、NITS主催の「研修マネジメント協働開発プログラム」に参加してきました。

 集まっていたのは、校内の研修や研究を進める立場の人たちです。

 学校種も地域もさまざまでしたが、「どうすれば同僚と前向きな研修をつくれるのか」「学校の研究は誰のためにあるのか」という悩みは、どこも共通していました。

 話をするなかで感じたことを、いくつか書いておきます。

 まず、どの学校でも「動く人」と「動かない人」の差に頭を悩ませているということです。

 ただ、人は本来、学びたい、何かをやってみたい生き物のはずです。

 学校の研修となると腰が重くなる人でも、趣味のことなら道具を選び、フォームを研究し、自分からどんどん学んでいきます。

 そう考えると、学ぶ意欲のない人がいるわけではなく、何に意欲がわくかが人によって違うだけなのかもしれません。

 それを学校の教育課題という枠に押し込めて「やらなきゃダメだから」と研修を強いると、拒絶反応が起きるのは自然な気がします。

 外から力をかけても心に火はつきませんし、もともとあった小さな火種まで消してしまうこともありそうです。

 一方で、人にはメリットとデメリットで動く面もあります。

 変わることには責任や痛みが伴うので、やる気だけを頼りにしても行動はなかなか生まれません。

 変化の責任を引き受けるだけの価値が見えなければ、現状維持や楽なほうに流れるのは当然です。

 自発的に動いている人は、動いた先にある価値(子どもの姿が変わる、授業が面白くなるなど)に気づいている人なのだと思います。

 では、強制がやる気を奪うのだとしたら、研修はどう進めればいいのでしょうか。

 困り感が表に出ていない、つまり改善のニーズがない現場に正論を伝えても、あまり響かないと思います。

 そうなると、「何を言うか」以上に「誰が言うか」が大きいのかもしれません。

 そしてそのためには、相手が何にこだわっているのかを知ること、自分の立ち位置を俯瞰(ふかん)して見たうえで言葉を選ぶことが欠かせないと感じました。

 もうひとつ痛感したのは、先生自身が「対話的な学び」の面白さや、試行錯誤して変わっていく喜びを経験していなければ、高校生にそれを届けることはできないということです。

 教員集団が安心感のある風土のなかで熱量を持ち、自律的に学んでいる姿は、そのまま教室の子どもたちの姿に映るのだと思います。

 「研修なんてやらなくても日常は回る」「でも、子どもたちの未来を考えたら、やるしかない」。現場はその間で揺れています。

 だからこそ旗を振る側は、熱狂しすぎず、孤立せず、俯瞰した視野を持っていたいところです。

 まずは自分が学ぶことを楽しみながら、「なにかやってみようかな」と思える小さなきっかけと対話の場を、足元から少しずつ耕していきたいと思います。

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