祖父の一回忌

 昨年百歳で亡くなった祖父の一回忌があった。

 もう1年たったのかという感じで祖父の家に行き、祖父の部屋に入ると祖父のものは綺麗に掃除されていた。

 いつも座っていたコタツも横になっていた枕もベットもなくなった畳の部屋は電気をつけても何だか暗く感じた。

 百歳になっても元気で耳もよくこっちの話をしっかり聞いてくれていた。

 曾孫を見て嬉しそうにしていた祖父は百二十歳まで生きるとよく言っていた。

 いくつになっても肉が好きで、よくそんなに食べれるなというくらい肉を食べていた。

 お経の間に祖父のことを思い出し、人は三回死ぬという話を考えていた。

 祖父はもう医学的な死と社会的な死を終えましたが、存在した記憶がなくなるという三回目の死はまだまだ先になるんだろうなと思います。

 法要は33回忌までを最後の区切りとしていることが多いですが、33回という長い期間を設定しているのは人が三回目の死を迎えることがないように、という昔の人の知恵なのかもと感じています。

 集まって、お経を聞いて、ご飯を食べながら話す、そのたびに故人を思い出す機会が、あらかじめ用意されているようにも思えます。

 祖父を見ていた曾孫は、おそらくその体験を覚えていません。

 嬉しそうに曾孫を見ていた祖父の顔も、そのときの空気も、たぶん残らないのだろうと思います。

 そうなると祖父が三回目の死を迎えてしまうかもしれません。

 そうならないように、法要の席で子どもに祖父の話をしていこうと思います。

 肉が好きだったこと、百二十歳まで生きると言っていたこと、子どもにとっては自分の記憶ではなくても、聞いた話として残っていってくれればいいなと思います。

 そうやって受け継いでいくことが、法要の意味なのかもしれません。

 三十三回忌を迎えた時に、子どもたちが祖父のことをどんなふうに話すのか、それを想像して祖父のことを伝えていきたいと思います。

IMG_6308