くみくみスロープ

 子どもが「くみくみスロープ」という自分で組み立ててボールを上から落として遊ぶおもちゃで遊んでいました。  

 兄弟2人で一生懸命にいろんなパーツを組み立てていました。  

 完成したといった上からボールを落とすんですが、うまく下まで落ちなかったり途中で落下したりする場所がいくつかありました。  

 それでもここは罠とか、ここは行けない場所とか言いながら盛り上がっていました。  

 それを見ながらいいなと思いつつ、つい余っているパーツをつないで下までうまくボールが落ちるように考えたりしてしまいました。

 子どもたちにとっては、ボールが途中で落ちることも含めて遊びだったのだと思います。

 罠がある方が面白いし、行けない場所があるからこそ、そこにどんな意味をつけるかで盛り上がれるんだと思います。

 むしろ完成されすぎていない方が、想像の余地があったのかもしれません。

 それなのに、自分はついつい下まできっちり落ちるように組み直したくなってしまいます。

 余っているパーツを見ると、あそこをつなげればうまくいくのにと考えてしまう自分がいました。

 口には出さなくても、頭の中ではもう修正案ができあがっていたりします。

 そのうち、ついつい口を出してしまいました。

 こうしたらもっとうまく落ちるかもというような一言だったと思います。

 子どもたちは素直に「あ、すごい」となって、そちらの形に受け入れてくれました。

 それを見て、少し複雑な気持ちになりました。

 うまくいく形の方がいいと子どもが思ってしまうのだとしたら、それは自分がそう仕向けてしまったからかもしれません。

 自由に組んで、途中で落ちることさえ楽しんでいたはずなのに、大人が「正解」を持ち込むことで、いつのまにか「きっちり最後まで行く方がいい」という基準ができてしまったんだと思います。

 これは家の中だけの話ではない気もしています。

 学校でも、生徒が自由に考えたことに対して、つい「こうした方がうまくいく」と口を出してしまっていることがあります。
 
 効率よくゴールに向かわせることが、必ずしも良いこととは限らないのに、大人はどうしてもそちらに引っ張ってしまう癖があるように思います。

 子どもの自由で柔軟な発想を、そのままの形で受け止められるように、口を出したくなる気持ちを抑えて、まずは見守れるように、頭ではそう思っているはずだったんですが、反省です。

 今度は子どもが作ったくみくみスロープを一緒に楽しもうと思っています。 
 

IMG_5915