文藝春秋SDGsエッセイ大賞2026

 noteの投稿企画「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2026」未来のためにできることに応募しました。

 「たった1時間」

 学校の働き方改革という言葉を耳にするようになってから5年以上はたった。

 ちょうど同じ頃、僕には子どもができた。

 その間に進んでいるのは改革ではなく、改善のように感じる。

 なぜなら改革とは現在の枠組みや仕組みそのものを疑い、根本から変えることであって、会議の時間を10分短縮する、プリントの配布をICTで効率化するといったものではないからだ。

 学校での働き方の枠組み、仕組みについてゼロベースで考え議論する機会を持った学校は果たしていくつあるだろう。

 全国の全ての学校が前進していないとはまったく思っていない。改革をしている学校もあるし、現場を見に行かせてもらったこともある。希望を感じることもある。

 ただ今の働き方を継続していきたい、継続していくのが難しいと感じている声は、希望を感じる機会よりも多い。

 それでも、休みを取れる日は朝の1時間だけでも休みを取り、子どもを保育園や小学校に送った。

 早く帰れる日は、同じように1時間だけでも早く帰り、迎えに行った。

 たった1時間だ。制度を変えたわけでも、働き方そのものを変えたわけでもない。

 それでも見えるものがあった。

 1人で泣かずに教室に入っていく姿。ランドセルを担いで歩く姿。迎えに行くと、僕を見つけて走ってくる姿。

 子どもは大人をよく見ている。学校の教員は親の次に目にすることが多い大人だろう。

 その大人が自分の働き方をしんどいと感じていたら、子どもは働くのはしんどいことなのだと学ぶ。

 働き方改革は働き方の「How to」ではない。むしろ「Why」だ。

 なぜ自分は働くのか。1人で教室に入っていく姿、ランドセルを担ぐ姿、走ってくる姿。それを見られること自体が、僕にとってはその答えに近い。

 家では、多くを語らなくてもいいと思っている。父親が家にいる時間そのものが、何かを伝えてくれると思うからだ。

 だから僕は、教室で語るようにしている。自分の幸せを語ること、それもまた僕が働く理由の一つだと思っている。

 社会で働くのも悪くないと、子どもが思える大人でいること、それが僕の未来のためにできることだと思っている。
 
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