『「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか』小塩真司

 SNSで気になっていた『「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか』を読みました。

 とても面白かったです。

 個人的にまず面白かったのは外発的動機づけと内発的動機づけについての内容です。

 外発的動機づけと内発的動機づけは0か1ではなくグラデーションがあるものだということを読みながら確かにそうだなと気づかされました。

 外発的動機づけと内発的動機づけは複数のものが同時に存在するもので、日や状況によって変化するというのは言われてみると当たり前なのについ見逃していました。

 サッカーは楽しいけれど先生に怒られるのが怖くて嫌だという状況もありえます。

 今はどのエンジンが動いているんだろうと意識で考えてみると、動機づけに関して見え方が変わってくる気がします。

 あとはタイトルにもなっている数値化の問題はどこにあるかなんですが、世の中には数値化であふれています。

 通販で買うときや食べる店を選ぶ時にレビューの星を見たりというのは日常的に多くの人が数値に影響されている例だと思います。

 アカウントのフォロー数やいいねの数も数値化の一部です。

 本来、測定の数値や指標は進捗や変化を確かめるための補助的な道具です。

 その数値を出すことには意味がないはずです。

 例えば身長・体重などを測る目的は成長を把握するため、健康を確認するためのもので、ある程度その目的を達成していると思います。

 歳を取るにつれて身長は高く、体重は軽いを求めるという本来の目的を外れているところも見られます。

 しかし、世の中ではもっと大きく本来の目的とずれていることが多くあります。

 たとえば教育界では全国学力・学習状況調査に関して完全に本来の意味が失われる結果となっています。

 全国の学習状況を把握し、指導改善をすることが目的であったにも関わらず数値(都道府県の順位)が公表されるうちに、正答率を上げて順位を上げることが目的になり、直前に試験対策をするという結果を生み出してしまっています。

 本来の目的を失っているにも関わらず同じ形式で続いてしまっています。

 大学の偏差値、IQテストなどに関しても同じように本来の目的を失っているにも関わらず、間違ったまま残り続けています。

 学校の成績も常に評価というものにとらわれてしまっています。
 
 子どもの成長には測定できないものだらけのはずです。

 しかし評価をしないといけないというプレッシャー、説明責任という名の存在によって、評価できるものを無理矢理作りだし、評価のための評価項目を作っている学校は多くある気がします。
 
 ここ数年で学力に関しては数値で測れないもののほうが大切だという考えが広まり、非認知能力の大切さが語られるようになりました。

 しかし、残念ながら最近は非認知能力をどうやって測るかということが話題となり、非認知能力もまた数値化されようとしています。

 どうすればそんな数値化中毒、測りすぎから脱却できるのか。

 そんなヒントがたくさん詰まっている本でした。

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