ビデオ判定が正しいのか

 W杯でのVARが話題になっています。

 ビデオ判定はスポーツの不平をなくす道具として導入されました。

 しかし、ビデオ判定を導入すれば正しい判断が下され、不満がなくなるという未来はまだ訪れていません。

 VARをどこまで導入するべきかという線引きも明確にされていません。
   
 ただビデオ判定を導入する以前に世紀の誤審と言われる誤審は多くあります。
  
 個人的にはっきりと記憶に残っているのはシドニー五輪柔道の篠原選手の誤審です。
 
 テレビでははっきりと篠原選手の技が決まっているのに判定は相手選手の勝ち、抗議も実ることなく篠原選手は金メダルを逃しました。

 あの時ビデオ判定があれば結果は変わっていたと思います。

 そう考えると選手、応援する側からするとビデオ判定は喜ばしい導入だったのかもしれません。

 しかし、このビデオ判定は審判の立場から考えるとどうでしょう。


 最後はビデオ判定されると思うことは、ポジティブに働く面もあるはずです。

 自分の目に自信が持てない一瞬でも、間違えたらVARが正してくれるという安心感が、迷いなく笛を吹く後押しになることはあるでしょう。


 その考えは逆に、審判自身の判断する力を鈍らせてしまうのではないかとも思います。

 最終的な正しさをビデオに委ねられるとわかっていれば、自分の目で見極めようとする集中力や責任感は、少しずつ薄れていくのではないでしょうか。

 判定を下すという行為そのものが、審判の経験と技術によって磨かれてきたものだとすれば、それを機械に肩代わりさせることは、審判という仕事の質を別のかたちに変えてしまうことでもあります。


 つまりビデオ判定は、審判を助ける道具であると同時に、審判から何かを奪う道具でもあるのだと思います。

 最初にも書いた通りVARが導入されても、誤審そのものがなくなるわけではありません。

 線引きの曖昧さや、判定に要する時間、そして見る側の納得感の問題は、これからも議論され続けるはずです。


 これはどの世界においても同じだと思います。何かが導入されれば全てが解決される、なんてことはありません。

 ビデオ判定もまた、スポーツの不平等を完全に解消してくれる万能薬ではなく、人の目と機械の目をどう組み合わせていくかという、終わりのない模索のひとつなのだと思います。
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