文学国語で「魅力を言葉で表そう」という単元でエッセイを書く課題を行った。

 エッセイを書くという単元なので、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストに応募するという課題にしてみました。

 生徒から先生も書いてというリクエストを受けたので一緒に書いてみました。

題名:あの日の駄菓子の味が、忘れられない。

「お父さん、食べていいよ」最後の一粒を分けてくれる子どもの駄菓子より、幸せが詰まったお裾分けを私は知らない。

小学一年生と年少の息子ふたりは、お菓子が大好きだ。とりわけ弟は夕食前であろうとおかまいなしで、いつでも食べたがる。

「今食べたら夕食が入らなくなるでしょ」と母親に制止されても、懲りることなく何度も「お菓子ちょうだい作戦」を決行する。

兄はというと、弟の様子をうかがいながら便乗するのが常で、作戦が成功するや「僕も」とさりげなく手を伸ばしてくる。

父親としてはご飯前のお菓子をたしなめるべきなのだろうが、ついつい甘やかしてしまう。

そのことをよく知っている二人は、三人で出かけるたびにスーパーのお菓子コーナーへと私を引っ張っていく。

「一人ふたつまで」と言い聞かせても、毎回それ以上持ってくる。

「小さいからいいでしょ」と駄菓子をいくつも手に抱えてくる。

別々のものを買って交換するという発想はないらしく、必ず同じものを揃えてくる。

最初はそれぞれ選んでいても、どちらかが違うものを手にすると、もう一方がそちらに乗り換える。

その日の主導権は兄のときも弟のときもあり、どちらが決めるかは風まかせだ。

選ばれてくる駄菓子は、どうやって着色したのかと首をかしげるような原色のものばかりだ。

大人の食欲をそそる色ではないが、子どもにはたまらないらしい。

その原色に輪をかけて、目をキラキラさせながら持ってくる二人のお願いを、結局は受け入れてしまう。

袋を抱えたまま帰るわけにもいかず、ふたりは店を出るなりこっそりつまみ食いを始める。

一気に平らげようとするのをなんとかなだめながら歩いていると、ふいに弟が立ち止まった。

小さな手のひらの上に、かじりかけの駄菓子がちょこんと乗っている。

「お父さん、食べていいよ」。照れるでもなく、ごく自然に差し出してくる。隣で見ていた兄も、少し遅れて「僕のも食べる?」と袋を開けてくれた。

駄菓子そのものは、たいした味ではない。

どぎつい色で、甘すぎて、噛むとじゃりじゃりすることもある。

けれどあのとき口に入れたひとかけらは、どんな料理よりも豊かな味がした。

子どもたちが夢中になって選び、二人で顔を見合わせながら食べて、それでも父親のことを思い出してくれた。

そのすべてが溶け込んでいるような気がして、思わず目を細めた。

いつかこの子たちが大きくなって、あの原色の駄菓子を懐かしく思い出す日が来るだろうか。

そのとき父親のことも、少しだけ思い出してくれたなら、それで十分だ。

駄菓子の値段では、到底買えないものをもらった気がした。



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