坊ちゃん文学賞への応募作品

 第22回坊っちゃん文学賞の表彰式が令和8年1月25日(日)で、最終選考者には直接連絡するということで、現時点で連絡がないということで入賞はなかったんだと思います。

 そこでここで全文を数回に分けて公開しておこうと思います。

 文学賞への入賞は並大抵のことではないと思いますがいつか入賞できる日を目指して今後も挑戦したいと思います。


『ヤンバルの甲虫』

「普通」――これが俺を紹介するときの代名詞だろうなと思う。
 名前は翔太。自分の年代で生まれた男子の名前ランキング一位。つまり、一番多い。クラスに二人はいる確率の高い名前だ。身長は平均の百七十センチ、体重も平均の五十キロ。教科書の統計表にそのまま当てはまるような数字に、俺はぴったり収まっている。

 俺が「普通でいよう」と決めたのは、これまた普通によくある話。兄が優秀すぎる、というやつだ。
 小さい頃は俺だって、それなりに対抗心を燃やしていた。でも、漢字テストで九十点を取って大喜びしたのに、兄は九十八点を取って「ケアレスミスが悔しい」と本気で落ち込んでいた。運動会のリレー、俺は選ばれるかどうかの瀬戸際でドキドキしていたのに、兄はアンカーで「何人抜けるか」を期待されていた。

 決定的だったのは、中学生になった時に兄に憧れて同じサッカー部に入ったときだ。練習を重ねても、誰が見ても俺は兄より下手だった。試合に出られるのは最後の数分、それでも結果を出そうと必死だった。試合後、観客席から「やっぱり兄だな」という声が聞こえたとき、胸が縮んだ。監督も仲間も責めはしなかった。兄は次があると言って励ましてくれた。
 俺は中一でさとってしまった。頑張っても兄に届かないなら、最初から普通でいよう、と。普通の殻に閉じこもるのは、少なくとも安全だった。寄りかかっていれば転ばない。立ち上がらなくていい。高校に入っても俺の普通の生活は変わらなかった。

 真夜中、スマホだけが部屋を照らす。テスト前なのにTikTokを流し続け、時間の底が抜けていく。兄なら、きっとこんな無駄はしない。そう思いながら、親指は勝手にスワイプする。
 ふと、画面の中で土を掘り返す大きな影が映った。エレファスゾウカブト。三本の角を突き出し、ゆっくり進む姿は小さな怪獣そのものだ。次の動画では、エレファスホソアカクワガタが細長い顎をギシギシと鳴らしながら枝を揺らしている。

 昆虫の中でも、特に俺が好きなのは甲虫だ。きっかけは父さんと一緒に行った夏の夜の森だった。懐中電灯を当てた先で、樹液に集まる黒い影がぐっと動いた瞬間の興奮を、今でも覚えている。夜の森は湿った土と甘い樹液の匂いが混じり、遠くのフクロウの鳴き声に包まれていた。
 その日、捕まえてきたカブトムシを世話しながら父さんが「カブトムシは昆虫の中でも硬い殻で身を守る甲虫なんだぞ」と教えてくれた。さらに「甲虫は、約四十万種が確認されていて、全生物種の約四分の一。全昆虫種の約四〇%にあたるんだ。まだ発見されていない種も多数存在するとされていて、合計で百万種から二百万種に達する可能性もあるんだ凄いだろ。日本だけでも、約六千種の甲虫が確認されていて、今も新しい種が発見されているんだぞ。」父さんが嬉しそうに話しているのを見て、俺は甲虫の世界にどっぷりはまってしまった。その頃の俺は、いつか自分が新種を見つけてみたい。あわよくば、そこに自分の名前をつけてみたい。なんて普通じゃない夢を持っていた。

 夢の実現のために毎年のように捕まえた甲虫を家で何匹も飼い、交配して幼虫の世話もした。標本も作った。翅脈が光を受けて透けるのを見ては、自分だけの宝物みたいに思った。でも、あるとき友達にそんな話をしていると周りにいた女子が「気持ち悪い」と言う声が聞こえて、慌てて普通に戻らなきゃと思った。

 切り替わった映像で、ミイデラゴミムシが敵に向けて高温のガスを噴射する瞬間がスローで映し出され、小さな甲虫の不思議な生態に魅了された。
スクロールすると、今度はゴライアストハナムグリ。黒と白の幾何学模様が宝石みたいに光り、花粉にまみれながら大きな体を揺らしていた。
 次に出てきたのは、俺が最も好きな甲虫、ヤンバルテナガコガネだった。沖縄の森にしかいない、日本最大級のコガネムシ。太い前脚と金属のような光沢。俺は何度も図鑑やネットで見てきた。いつか実物を見てみたい。もちろん沖縄にコガネムシを見に行きたいなんて普通じゃない夢は誰にも言ったことはない。

 

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