子どもの安全って、こんなに見え方が違うんだ

 noteの「#子どもの安全を考える」と募集があったので子どもの安全について考えてみました。

 自分が子どもの頃は安全なんてほとんど意識していませんでした。
  
 横断歩道を使わずに道路を渡ったり、友達とふざけながら路地を走り回ったりが当たり前でした。

 「危ないよ!」と大人に言われても、同じことを繰り返していました。

 車が怖いとか、道が危ないなんて、思ったことはありませんでした。

 しかし、車の免許を取ったとき、安全への見方は少し変わりました。

 運転する立場になってみると、歩行者の存在が急に気になるようになりました。

 細い道の角からいきなり子どもが出てくるかもしれない、自転車が飛び出してくるかもしれない。

 そう思って減速はするけれど、心のどこかで「危ないなあ、なんでこんな道を歩くんだろう」と相手に安全の責任を押しつけていたように思います。

 気をつけるべきものであるけれど、やっぱり「他人ごと」でした。

 しかし、子どもが生まれてから僕の目線はがらりと変わりました。

 子どもと一緒に歩くようになって、初めて知ったことがたくさんあります。

 車の通る音の大きさ、交差点の見通しの悪さ、段差の多さなど。

 大人の僕ならなんてことのない道が、子どもにとっては危険だらけで、また誘惑だらけなんだと気づきました。

 それに気づいてからは、車を運転するとき、歩行者を見かけると最徐行するようになりました。

「そんなスピードで、この道を走らないでほしいな」
「そんなに慌てなくても大丈夫なのに」

 心の中でそうつぶやく自分がいました。

 過去の自分に対して、ほんと何もなくて良かったな、たまたま安全だっただけだぞと言ってやりたくなりました。

 子どもとして歩く立場、車を運転する立場、そして親の立場。

 それぞれの視点で、安全の意味はまったく違って見えました。

 そして今、思います。

 じゃあ、子どもを持つ前の自分に子どもの安全のために、何ができるだろう?

 答えの一つは、「想像すること」だと思います。

 小さな手をつないで、子どもと一緒に歩く姿を想像してみること。

 1日だけでもいいので、いつも通る道を、子どもの目線で見てみみること。

 それだけでも、きっと見えるものが変わってくると思います。

 安全は、注意深さだけでなく、想像力の積み重ねです。

 子どもがいなくても、親じゃなくても、誰かの目線に立てる人が増えたら、この街はそして日本はもっと、優しく安全になる気がします。

IMG_4775