教職研修 2月号

 教職研修2月号を読みました。

 1年生の現代の国語で「檻の中の街」という安田菜津紀(フォトジャーナリスト)の内容を扱っていたので、「差別のない社会を学校から」という安田さんのインタビューがスッと入ってきました。

 教科書ではヨルダンの難民キャンプについての取材での出来事を書かれています。

 難民キャンプを取材するという行為は、人を難民と呼び、誇りを傷つけ見下している行為ではないのか、取材されている人からすると差別を受けていると感じるのではないかという疑問を投げかけてくる文章になっています。

 文章を読み、人を無意識に見下し、差別しているかもしれないということを考えさせられたのでとても印象に残りました。

 今回のインタビューでは安田さんがなぜジャーナリストを目指したのか、差別について学校が出来ることは何かを話されています。

 安田さんは16歳の時にカンボジアに実際に行き体験したことがベースとなりジャーナリストを目指すようになったそうです。

 現地に行き実際に人身売買の被害に遭ったという同世代の子に出会ったことがきっかけで遠くの国である問題が「あなたと私」の問題になったというのがきっかけになったそうです。

 遠くの国での問題が自分事になり、それが社会の問題だと考えるようになった。

 記事を読みながら「個人の問題を社会の問題と捉える( Personal is Political)」は遠くのことではなく自分の身近なことだと感じることから始まるんだとあらためて思いました。

 問題を他人事にしないという姿勢は、海外に実際に行かなくても学ぶべきことだと思います。

 学校は本来そういう人と人とが違う存在であること、違う存在の中でお互いがお互いのことを認め合い、仲良くしあうのではなく折り合いをつけて過ごしていく練習をする場所という機能を持っていると思います。

 しかし多くの学校で、社会は不条理なことがある、社会は厳しいからという理由で、不条理に耐える練習をする場所になっていたり、ルール通りに過ごす練習をする場所になってしまっている気がします。

 学校は不条理な社会をいかに解消していくかを考える場所であるべきだと思います。

 同時に声の大きい人の意見で進めていく場ではなく、声の大きさに関係なく全員で合意形成しながら進んでいく場所であるべきだと思います。

 差別は悪意があって行われているものばかりではありません。

 日常の会話の中に差別が含まれていることがあります。

 子ども同士でそのことに気づいた時に大きな声を出し、制したり止めたりすることは、難しいかもしれませがんが、気づくことが第一歩だと思います。

 もし教師がそんな場面に出会ったら、押さえ込むのではなくそこから一緒に考えることが出来る場を作れるかどうか。

 それが差別のない社会を作る一歩になるんだろうなと考えさせられました。


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