『無理の構造』 細谷功
僕の思考にかなり大きな影響を与えてくれている細谷さんの『無理の構造』を読みました。
『無理の構造』もとても面白い1冊でした。
他の本の内容と繋がる部分も多く、再確認しつつ新しいことも学べた本でした。
多くの人が社会に対して理不尽さを感じたり、不公平だと感じたことがあると思います。
しかし、そのほとんどにおいて理由があって、そのことを分かってないのでどうしても不平や不満になってしまう。
本の中では本当に分かりやすいなと思う具体を用いた説明が出てくる。
その中の1つ「上流・下流の法則」というのはとても分かりやすいし大事だなと思った。
川は上流から下流まで繋がっていますが、上流と下流では石の形や大きさがまったく違います。
上流では大きな岩がたくさんあり、ほとんどが違う形をしていますが、下流になるほどに小さくなり形も同じになってきます。
上流で議論されることと下流で議論されていることは同じ川であってもまったく違います。
スタートアップ企業と大企業は同じ企業という括りですが、まったく違います。
大企業の人がスタートアップは動きが速く、すぐに行動しているのに比べて自分たちは変化が遅すぎるというの不満はこの法則が分かっていないからだと言えます。
ここで大事なのは上流と下流のどちらがいいということはまったくないということです。
必要とされることが違っているだけで、どちらかが優れているというわけではありません。
ただし下流に来たものを上流に戻すのは不可能で、いくら劣化してもリセットすることは無理です。
このへんはイノベーションのジレンマと通じるところだと思うのですが、下流になった大企業が変化に対応するのは無理で、違う川に進むしかない。
学校組織においても指導要領の抽象化された内容と実際に現場で運用される具体は違っていて当然なです。
しかし下流の現場で抽象的すぎて分からないと言った不満が生まれ、本来は各学校で行うべき具体を、文科省が解説という具体まで作ってしまっています。
上流と下流では役割が違うはずなのにそこがごちゃごちゃになってしまっているという構図が誕生してしまっています。
全てのことが無理なら諦めるしかないのか?
無理の構造で最も響いたのは最後の章「教育は無力なのか」です。
人を変えるのは無理、組織を変えるのは無理だとするなら諦めるしかないのか。
変えようと努力すること、何とかしようとする教育は意味がないのか、無理だと諦めるしかないのかという問いに対して、「だからこそ教育は重要だ」と書かれています。
確かに教育で人を変えるのは無理です。
なぜなら変わるのは、自分が変わろうと思った時だけだからです。
神話で天照大神が岩戸を自分の手で開けたのは、外の人が楽しそうにしていたからです。
外の人が出来るのは、ドアを開けることでもドアを開けることがいかに意味があるかを語ることでもありません。
中の人が外は楽しそうだからちょっと見てみようと思わせること、それが教育に出来ることだと自覚して行動することこそが大事なんだとあらためて気づかせてもらいました。

僕の思考にかなり大きな影響を与えてくれている細谷さんの『無理の構造』を読みました。
『無理の構造』もとても面白い1冊でした。
他の本の内容と繋がる部分も多く、再確認しつつ新しいことも学べた本でした。
多くの人が社会に対して理不尽さを感じたり、不公平だと感じたことがあると思います。
しかし、そのほとんどにおいて理由があって、そのことを分かってないのでどうしても不平や不満になってしまう。
本の中では本当に分かりやすいなと思う具体を用いた説明が出てくる。
その中の1つ「上流・下流の法則」というのはとても分かりやすいし大事だなと思った。
川は上流から下流まで繋がっていますが、上流と下流では石の形や大きさがまったく違います。
上流では大きな岩がたくさんあり、ほとんどが違う形をしていますが、下流になるほどに小さくなり形も同じになってきます。
上流で議論されることと下流で議論されていることは同じ川であってもまったく違います。
スタートアップ企業と大企業は同じ企業という括りですが、まったく違います。
大企業の人がスタートアップは動きが速く、すぐに行動しているのに比べて自分たちは変化が遅すぎるというの不満はこの法則が分かっていないからだと言えます。
ここで大事なのは上流と下流のどちらがいいということはまったくないということです。
必要とされることが違っているだけで、どちらかが優れているというわけではありません。
ただし下流に来たものを上流に戻すのは不可能で、いくら劣化してもリセットすることは無理です。
このへんはイノベーションのジレンマと通じるところだと思うのですが、下流になった大企業が変化に対応するのは無理で、違う川に進むしかない。
学校組織においても指導要領の抽象化された内容と実際に現場で運用される具体は違っていて当然なです。
しかし下流の現場で抽象的すぎて分からないと言った不満が生まれ、本来は各学校で行うべき具体を、文科省が解説という具体まで作ってしまっています。
上流と下流では役割が違うはずなのにそこがごちゃごちゃになってしまっているという構図が誕生してしまっています。
全てのことが無理なら諦めるしかないのか?
無理の構造で最も響いたのは最後の章「教育は無力なのか」です。
人を変えるのは無理、組織を変えるのは無理だとするなら諦めるしかないのか。
変えようと努力すること、何とかしようとする教育は意味がないのか、無理だと諦めるしかないのかという問いに対して、「だからこそ教育は重要だ」と書かれています。
確かに教育で人を変えるのは無理です。
なぜなら変わるのは、自分が変わろうと思った時だけだからです。
神話で天照大神が岩戸を自分の手で開けたのは、外の人が楽しそうにしていたからです。
外の人が出来るのは、ドアを開けることでもドアを開けることがいかに意味があるかを語ることでもありません。
中の人が外は楽しそうだからちょっと見てみようと思わせること、それが教育に出来ることだと自覚して行動することこそが大事なんだとあらためて気づかせてもらいました。

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