『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治
タイトルを見てずっと気になっていた1冊を読みました。
参加するセミナーに宮口先生の講演があるということを知ったので、せっかくなら直接、話をお伺いする前に読んでおこうと思って読みました。
実際に宮口先生のお話を聞いて学んだことは、また後日にまとめようと思っています。
本について書いておこうと思います。
内容はタイトルにある通りで、非行少年に関してです。
元精神科医、少年院の法務技官として働き、現在は大学で臨床心理を担当する作者が多くの非行少年と直接、関わってきた子どもたちがどんな生きづらさを持っていたのかを書かれています。
最終的には経験をもとに、どうすれば非行少年を更生していけばいいのか、同じような非行少年を作らないためにはどうすればいいのかが提案されています。
本を読んでいて、”イライラ”という言葉でしか感情を表現できない子どもというのは、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』にも出てきた犯罪を犯してしまった少年と共通するものを感じました。
感情を表現するだけの語彙がないということは、人の感情を想像することが難しく、自分の中の思い込みだけが進んでいくんだと思います。
だからといって語彙を増やせばいいう問題ではなく、そもそもとしてどういう特徴を持っているのかを知ることだと思います。
タイトルにあるケーキを3分割することや5等分ということが理解できない子どもに対して、どうして出来ないのかと聞いても、更生にはつながりません。
本の中に出てきた少年がどれだけ生きづらさを感じていたのかがとても詳細に語られています。
もちろん、生きづらさがあったから犯罪が許されるということを書いているわけではなく、非行少年の中には反省するということにたどり着けない子どもが多くいるということを知って欲しいということが書かれています。
先生が単独で見つけることは不可能
最後に書かれている学校が非行少年を救う可能性があるという考えには共感できますが、少年を担任の先生が単独で見つけ出すのは不可能だと思います。
担任だけで、一人一人のことをよく見て把握するというのは、ほぼ不可能だと思っています。
では、どうすればいいのか。
本に出てくる「子どもが大人と1対1で向き合って得られる気づきよりも、同級生に言われる気づきの方が大きいこともあり、グループでの様々な活動も欠かせません」という部分はとても大事だと思っています。
教師がかける言葉より、仲間がかける言葉のほうが気づくきっかけになる可能性は圧倒的に高いです。
その後に出てくる認知機能トレーニングは効果的なのかもしれませんが、教師が主体になってやるのではなく、知っておく仲間を作ることが出来るかが大切だと思いました。
学校が非行少年を救う場になるという考えは共感ですが、それを担うのは教師ではなく仲間であるべきだと思いました。
実際に話を聞いて、質問する機会があれば実際に伺ってみたいなと思いました。
タイトルを見てずっと気になっていた1冊を読みました。
参加するセミナーに宮口先生の講演があるということを知ったので、せっかくなら直接、話をお伺いする前に読んでおこうと思って読みました。
実際に宮口先生のお話を聞いて学んだことは、また後日にまとめようと思っています。
本について書いておこうと思います。
内容はタイトルにある通りで、非行少年に関してです。
元精神科医、少年院の法務技官として働き、現在は大学で臨床心理を担当する作者が多くの非行少年と直接、関わってきた子どもたちがどんな生きづらさを持っていたのかを書かれています。
最終的には経験をもとに、どうすれば非行少年を更生していけばいいのか、同じような非行少年を作らないためにはどうすればいいのかが提案されています。
本を読んでいて、”イライラ”という言葉でしか感情を表現できない子どもというのは、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』にも出てきた犯罪を犯してしまった少年と共通するものを感じました。
感情を表現するだけの語彙がないということは、人の感情を想像することが難しく、自分の中の思い込みだけが進んでいくんだと思います。
だからといって語彙を増やせばいいう問題ではなく、そもそもとしてどういう特徴を持っているのかを知ることだと思います。
タイトルにあるケーキを3分割することや5等分ということが理解できない子どもに対して、どうして出来ないのかと聞いても、更生にはつながりません。
本の中に出てきた少年がどれだけ生きづらさを感じていたのかがとても詳細に語られています。
もちろん、生きづらさがあったから犯罪が許されるということを書いているわけではなく、非行少年の中には反省するということにたどり着けない子どもが多くいるということを知って欲しいということが書かれています。
先生が単独で見つけることは不可能
最後に書かれている学校が非行少年を救う可能性があるという考えには共感できますが、少年を担任の先生が単独で見つけ出すのは不可能だと思います。
担任だけで、一人一人のことをよく見て把握するというのは、ほぼ不可能だと思っています。
では、どうすればいいのか。
本に出てくる「子どもが大人と1対1で向き合って得られる気づきよりも、同級生に言われる気づきの方が大きいこともあり、グループでの様々な活動も欠かせません」という部分はとても大事だと思っています。
教師がかける言葉より、仲間がかける言葉のほうが気づくきっかけになる可能性は圧倒的に高いです。
その後に出てくる認知機能トレーニングは効果的なのかもしれませんが、教師が主体になってやるのではなく、知っておく仲間を作ることが出来るかが大切だと思いました。
学校が非行少年を救う場になるという考えは共感ですが、それを担うのは教師ではなく仲間であるべきだと思いました。
実際に話を聞いて、質問する機会があれば実際に伺ってみたいなと思いました。
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