Newton 8月号

 第2特集「知能とは何か」で知能っていったい何なのかを考えさせられました。

 『働くということ』でも取り上げられていた能力とは何なのかについても改めて考えることが出来ました。

 特集を監修されている高橋教授のインタビューに出てくる知能とは定義できないもので、人間が便宜的に作り出した概念という言葉はとても大切だなと思いました。

 知能という概念はもともと哲学の分野で生まれた概念です。

 概念なので数値化したりすることは出来ないものだったんですが、心理学の中で知能を測定しようという動きがありました。
  
 それが知能として一般的に広まっているIQテストです。

 今ではすっかりいかに高いIQを取れるかということが注目されていますが、そもそもなぜ心理学の中で知能を測定することになったのか、どういう目的があったのか。

 知能を測定する目的は測定に応じて適切な教育支援をするためのものだったそうです。

 個にあった教育支援が目的だったものがいつからか誰が賢いかを測定する道具になってしまっているというのは、全国学力調査がいつの間にか自治体の競争になってしまったのと似ている気がします。

 本来の目的からかけ離れてしまった知能測定によって「IQが高い=知能が高く優秀な人」という間違った構図を生み出してしまいました。

 知能測定で測れる知能は一面的なものであって、知能という概念に決まった定義はないということはなかなか広まっていません。

 そもそも知能に決まった定義はないので、記憶力も知能の一部で、忘れることも知能の一部と考えることが出来ます。

 なので、知能を比べるということ自体が本来おかしなことなんですが、知能を比べるということがよく行われています。

 人の知能とAI(人工知能)との違い
 
 では、人間の知能と人工知能はいったい何が違うのか。

 記憶力、判断力など様々な分野で人間の知能と人工知能の違いはなくなっています。

 特にChatGPTが登場してからの人工知能の進化は意識を持つことも可能かもしれないと思えるレベルまで進化しています。

 ただ、決定的に違うことは自分から勝手に動き、行動し失敗するという部分です。

 自分からムダなことをするというのが両者の決定的な違いだと書かれています。

 人工知能は指示を受けたあとにムダなことも行いながら学習することは出来るようになりましたが、自分から行うことはありません。

 いかに自分からムダなことが出来るかがとても大切です。

 ムダが実はムダではないということに気づかずに合理性やタイパばかりを重視しているとあっという間にAIでもいい存在になってしまうんだろうなと思います。
 
 「知能とは何か」とてもいい特集でした。

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