『言葉のズレと共感幻想』細谷功 佐渡島庸平

 考え方を参考にさせてもらっている二人の対談本を読みました。

 細谷さんの『具体と抽象』は絶対に読んだほうがいいと思います。

 佐渡島さんの『観察眼の鍛え方』やブログもめちゃくちゃおススメです。

 そんな二人が興味を持っていることに関して対談しているんですが、どの章も面白い。

 言葉のズレと共感幻想というタイトル通り、普段の生活の中でいかに言葉というものに頼りすぎているか、言葉の認識がズレたまま過ごしているかを考えさせられました。

 言葉というのは人類にとって間違いなく必要不可欠なものですが、言葉は人によって認識が違っているということを意識しておかないといけないものです。

 例えば、「学校」と言われて思いつくものは人によって違います。

 僕は学校と言われるとまず高校が思いつきますし、あとは中学校、小学校が思いつきます。

 大学生同士が「明日の学校、休みたい」という会話をしている時の学校は大学になります。

 そうやって学校という言葉は常に変化し、学校はこれだけを意味するということはありません。

 当たり前のことだと感じたかもしれませんが、お互いの認識がズレたまま話を進めているということはよくあります。

 主体的な学び、深い学び、対話的な学びなどなど学校では抽象的な言葉を多くあります。

 僕はそのこと自体は悪いことだとは思っていません。

 むしろ学習指導要領を始め、大きな部分は抽象であるべきだと思っています。
 
 抽象の部分を共有した上で具体と照らし合わせることで、今やっている具体が抽象とズレていないかを考えることが出来ます。

 最近よく言われる言葉で言うと上位目標にあたるのが抽象で、実際の活動や授業が具体です。

 常に具体が抽象とズレていないか、抽象が具体にするのに適しているか。

 抽象が世界に羽ばたく人材の育成とかなってくるとさすがに具体が多すぎるし、ズレが多すぎてしまう。

 学校が目標としている抽象に照らし合わせて具体が合っているか。

 具体だけで話をしても解決しませんし、抽象だけでも前に進めません。

 抽象と具体を行ったり来たりしながら対話していくことで問題解決につながっていくということをあらためて学ぶことができました。


 
IMG_3875