『話し合いの作法』中原淳

 中原淳さんの『話し合いの作法』を読みました。

 学習指導要領の「主体的対話的で深い学び」の対話って何?対話って何をすれば対話なの?と思っている人は必読だと思います。

 僕も対話に関して結構、勘違いしていました。

 今まで対話だと思っていた対話は、実は対話ではなかったと考えさせられる内容でした。

 対話で大事なことは意見をぶつけあって相手を言い負かすことではありません。

 論破することは対話ではまったく必要なく、むしろ対話において重要なことは待つことです。

 待つとは何か?それは相手の意見を聞き、相手の立場や相手の合理性を受け入れるということです。

 そのうえでまた自分の考えを話していく、間が出来ることを気にしないしっとりした話し合いが対話です。

 具体例に出てきた「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」というコピーが分かりやすくて、桃太郎の立場から合理性があるように、鬼側からも合理性がある。

 そこでどっちが間違っていると言い合うのではなく、お互いをリスペクトしサスペクト(自己への懐疑)をする。

 桃太郎と鬼との間で共通理解をつくりあげることができるか。

 桃太郎にとって鬼は村を襲ってモノを奪っていく存在だったから退治した。

 鬼は家族を養うために仕方なく略奪をしていた。

 ここでどんな理由があっても暴力で解決してはいけない、家族を養うためだろうが略奪はいけないとかお互いを否定し合うのではなく、相手を尊敬し、自分を疑い、共通理解を作っていくのが対話です。



 対話は決断、実践とセットでないと意味がない


 対話した後に大事なことは決断して、実践することです。

 桃太郎と鬼が対話し、お互いの思いを理解し、「お互いに何らかの手段で家族を養う必要があるがお互いを攻撃し合うという形は、長期的に見て良くはない」という共通理解になったとします。

 お互いの考えを出し尽くして、お互いに共通理解が出来て良かったね!ではなく何を決断するかです。

 答えのない問題に対して何かを決断すると、必ずメリットとデメリットが発生します。

 しかし、対話を踏まえて決断していかなくてはなりません。

 桃太郎側は今まで奪われたモノを諦めて協力して何か食物を作るという決断が必要になるかもしれません、鬼側は桃太郎側より多くの労働力を提供して、出来たものは同じ量だけ分配するという決断が必要になるかもしれません。

 対話での共通理解を踏まえてお互いは納得する決断をする。

 多数決は話し合いではない。

 学校やいろんな場所で決断の時に使われる多数決は決断の方法として適切でないことが多いです。

 多数決では少数の意見を切り捨ててしまいます。

 少数の意見を支持していた人は納得できないまま、意見に従わなくてはなりません。

 対話と決断は全ての人が納得することが大切なので、対話しつくしたから最後は多数決で決めるというのは危険です。

 メンバーで決めることから逃げないことが大事になってきます。

 そうすることで対話をして良かった、話し合いをして良かったという経験が積みあがっていきます。

 誰かがすぐに決定したり、簡単に多数決をしてしまうと、話し合ってもどうせ誰かが決めるんでしょ、話し合っても少数の意見は意味ないんでしょ、最初から決まっているんでしょという話し合いへの無力感が積みあがってしまいます。

 意見を出し尽くし、メリットとデメリットを確認し、何を軸にして決めるのかという決める軸を話し合って決める。

 大変そう、面倒そうと感じるかもしれませんが、話し合うが持つ本来の目的は、答えのない問いに対して参加しているメンバー全員が納得解を作りあげることです。

 自由に話し合ってください、とにかく話し合ってくださいではなく、対話とは何なのか?決断とはどうすることなのかをまずは理解する。

 「主体的対話的で深い学び」のヒントがたくさん詰まった本でした。
 
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