お金の価値の変化
 
 RIETI(独立行政法人経済産業研究所)で成田 悠輔さんが書かれた記事が面白かった。

 お金の価値の変化について、お金とは「過去の経済活動の記録」という役割を持っている。

 1万円が手元にあるということは、過去に自分が1万円分の何かをしてきたから1万円が手元にあるということになる。

 1万円札であれば、誰から誰に渡って今ここにあるというのが分からない。

 しかしデジタル金融になってからはデジタルでのやり取りの記録が残るようになった。

 誰がどこでいくら受け取り、何に支払ったかが記録されるようになった。

 人間がお金を作りだした古代では各自のやり取りが石の台帳に全てが記入されていた。

 共同体の中での経済記録が全て残されていることが当たり前で、その記録をもとに人の信用や不正を見つけることが出来た。

 江戸時代くらいになっても全てを記帳することは出来なくなっていたが台帳と呼ばれるものにお金のやり取りの多くが残されている。

 しかし、産業革命が起きていく中でコミュニティが大きく広がり記録とお金の動きはズレていった。

 その結果、お金をどれだけ持っているかがその人の信用につながるようになっていった。

 それがデジタル金融の発展によって多くのやり取りがデータとして残るようになった。

 中央集権型ではない暗号資産などのやり取りは誰でも見ることができるほどオープンなデータとして残っていく。

 そうなってくると昔のように誰が信用できるのか、誰が不正をしていて信用できないのかが分かって来る。

 データをもとにあの人は信用できるから取引の値段は低くてもいいか、あの人は信用できないから高い値段設定にしようということが出来る。

 人によって値段が違うなんておかしいと思う人もいるかもしれないが、実際にアメリカでは価格が個別にカスタマイズされる仕組みや取組が始まっている。



 信用や尊敬が価値になる

 日常的にどんな取引をしているかを見られたくないと思う気持ちは分かるが、残念ながら日常生活で何を買っているかはデジタルで記録されている。

 もちろん今は個人のデータとして公開はされていないが、総合的なデータとしては収集されている。

 ポイントカードを企業が作るのは割引をしてあげたいからではなない。

 登録されているデータに価値があるからカードを作ってポイントをつけているのだ。

 カードを使うということは、何曜日の何時ごろにこんな商品がどんな年代に売れたのかを記帳されているのだ。
 
 成田さんの仮説の結論は本当に面白いし、実現していきそうな気がする。
最終的には、価格やお金が消失した経済も想像できる。価格を介さず、個々人の属性と過去の活動履歴に基づき、その人が何をしたり手に入れたりすることが許されるかが直接決まるような経済像だ。そんな価格・お金抜きの経済は、未来への飛躍であると同時に太古への回帰にもなるだろう。
 まだ読破していないけれど、『断絶の航海』のケイロン人の社会を想像してしまった。


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