『笑うマトリョーシカ』

 読み終わってなぜか怖くなってしまう小説でした。けして誰かが死ぬとか、ホラー的な怖さではなく、自分の言葉は本当に自分が考えて話しているのだろうか。自分が誰かにコントロールされているなんてありえないと思っていると思います。しかし、人は場所によって関係性によって違った自分を持っています。家族といる時、大学の友人といる時、高校の部活の人といる時、どれも嘘をついているわけではないですが、違った自分でいると思います。平野啓一郎さんの言葉でいう“分人”が人の中には存在しています。

 小説はある政治家が若くして官房長官になっていくという物語です。完璧な受け答え、自然すぎる演説、すべてにおいて模範的なその政治家が書いた手記。その手記のインタビューをした記者が感じた違和感。本人、側近の秘書、大学時代の恋人、母親の回想シーンや記者のインタビューから少しずつ見えてくる政治家の本当の姿。しかしその本当の姿でさえ、本当の姿なのか分からなくなる。
 筆者が書かれているこの小説を書いたきっかけは、ある政治家の言葉が「もし全て誰かに言わされている」としたら?と考えたことだと書かれています。

 国会答弁や議員の質疑応答を見ていると、明らかに自分の言葉ではなく原稿の通りに読んでいる人もいます。逆にすごく自分の言葉で話されているような人もいます。しかしその人もまた原稿を完璧に自分のものにしているだけだとしたら・・・

 最初から最後まで誰が誰を操ろうとしているのか。誰が誰を裏切っているのか。分からなくて面白い1冊でした。


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