伝わらない言葉が結構ある

 国語の授業中に教科書に出てくる言葉で生徒が意味を聞いたり、調べたりしているのを見て、その言葉の意味が分かりづらいんだなと感じることが多々あります。生徒の語彙力が足りない、少なくなっていると単純に決めつけてしまうのは簡単ですが、僕は少し違うのかなと感じています。語彙力が減っていると捉えるか、減っていても会話に困らないと捉えるのか。僕は単に減っているだけだけではないような気がしています。それは僕が生徒が話している言葉で分からないことが結構あるからです。僕の語彙力がないのが原因かもしれませんが、それだけではない気がします。
 知らない言葉があっても単純にコミュニケーションに困らないからなんだと思います。LINEなどのツールでの会話に複雑な言葉は不要です。より速くシンプルに用件が伝わるかどうか。だから難解な語は知らないし、知ろうとしない。

 言葉が生まれるには何かしら理由がある。

 最近、知ったんですが「うだつがあがらない」の「うだつ」は昔は裕福さを表す建築様式でそれが出世などに転用された。昔は多くの家で「うだつ」という建築様式が使われていたり、知っていたから意味が通じたし分かりやすかった。しかし今、「うだつ」を見たことがある人やイメージできる人は多くないので伝わりやすい言葉ではなくなってきたので、使用機会も減っている。使われないから知られない。

 
 最近は伝わらない言葉を使うと知識をひけらかす、マウントを取ってくると言われかねないです。テレビ、YouTube、書籍をパッと見るだけでも「超簡単・・・」「分かりやすい・・・」「単純に解説・・・」「漫画で・・・」という言葉が並んでいます。
 つまり、出来るだけ分かりやすい言葉が求められます。分かりやすく説明することが不要だとは思いませんが、分かりやすくする時にもとの部分から変更されたり、削られたりすることがあるということに自覚的でいないといけないと思います。

 ふと井上ひさしさんの言葉を思い出しました。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 優しくするにも深くするにもそして面白くするにも、最初に言葉と向き合い意味を自分の頭で考えて、自分の中で言葉にする必要があるということを忘れてはいけないと思います。



 hallelujah-ge24b388df_1280