書道パフォーマンス
 
 先日、書道の先生とお話しする機会があって「書道ガール:2010年」の影響で書道パフォーマンスが有名になって、書道部の人気が出ましたよねという話をしました。そこで先生が「確かに人気が出たんですけど、書道部に入るとパフォーマンスをしないといけないと思う子がいて、もともと書道部に多くいた1人で書を書きたいとか、静かに書の作品を作りたいって子が入りづらくなったんですよ。」という話を聞きました。
 僕は単純に書道人気が出ること→書道部の人気が上がり部員が増えること=いいことだと思いこんでいました。人が増えて全員で楽しいことが出来ることはいいことだと思っていました。しかし、全員でやることに目を向けると、静かに書を書きたいという子の声は大きくないことが多く、消されてしまいます。
 多くの人が楽しんでいるという無自覚な暴力によって、少数の声は消えてしまいます。

 行事や係決めを全員でやることのマイナス面

 書道の先生の話を聞いて、ふと学校で当たり前のように行われていることにも無自覚な暴力はたくさんあるんだろうなと思いました。
 まず最初に思ったのは、学校行事です。当たり前のように全員が参加することが求められ、全員がなにかしらの役割を持つことが強制されます。そこに何もやらないという選択肢はありません。何もせずにただ頑張っている姿を見ているというのはやる気がない、協調性がないとみなされます。協力するのが当たり前で、楽しむことが強制される。先生も生徒のためと思って役割を与えようとする。何もやりたくないという選択がないまま当たり前のように全員参加の行事が行われています。
 あと係決めもそうだろうなと思います。学期の最初に学級委員や体育委員、風紀委員や美化委員など名称は異なると思いますが、クラスの役割を強制的に与えられます。わざわざ全員にあたえるためにクラスオリジナルの役を作ったりもします。
 その時も何の役もやりたくない子は、やる気が無い子、協力する気が無いというレッテルを貼られる可能性が高いです。

 ふとした会話から学校で当たり前に行われていることには、多くの消されている声があるんだなとあらためて気づきました。自覚的でいようと思います。



calligraphy-gf44d0c47e_1280