リーダーとは何なのか

 リーダーシップ論に関しては世の中に多くの本が出版去れ、ネット上でもさまざまな論が展開されている。僕もそれなりに読んできて学んできているつもりでいるが、実際に実行できているかというとまだまだだなと感じることが多い。
 ネットにあった桃野泰徳さんという方が書かれたブログの内容が具体的で腑に落ちたので記録していおこうと思う。
 記事の冒頭に出てくる友人の経営者は自らの会社のビジョンを語っている。引用させてもらいます。

「俺はウチの社員を全員、金持ちにしてやりたいという夢を持っている」


「俺を選んでくれたんだ。業界水準の倍は金を渡してやることが、経営者としての目標だ」


 この目標を聞き、桃野さんは彼の会社が長く続かない、そして彼が裸の王様になっているのではないかと考える。なぜそう思うのか。それは桃野さんの実体験によるものである。過去を振り返っていく中での話は納得させられることが多く、実感として感じることが本当に多かった。振り返りの中で出てくる『仏教ではこう考える』は早速、ポチってみた。桃野さんの記事はリンクを張っておくのでぜひ読んでみてください。



 僕なりに話しに出てきた友人のことを考えてみようと思います。まずリーダーがビジョンを語ることは大切なことは間違いないです。むしろビジョンがない組織は長く続きません。しかし、語るビジョンが経営者による経営者のためのものになっていないかはもっと大切です。

 例えばAmazonは「地球上で最もお客様を大切にする企業であること」、PATAGONIA (パタゴニア)は「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」、ユニクロ「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」などなど、大企業には経営者だけでない社会をよくしていくというビジョンがあります。もちろん学校教育にもビジョンがあって教育基本法にある「人格の形成」です。

 ビジョンがあってそのビジョン実現がうまくいくかどうかで大事なことは、経営者(リーダー)が単独でビジョンを叶えようとしていないことなんじゃないかなと思います。ようはリーダーは完璧ですべてを決めていかなくてはならないわけではありません。むしろ分からないコトを素直に聞くことが出来るかが大切なんだと思います。
 しかしリーダーになればなかなかそれを実行できる人がいない。
 ついて行きたいかどうかは、手伝ってあげたいかどうかと似ていると思います。全部、自分でやってしまう人、こっちに何も聞かない人のやることは口は出さなくても、手伝いもしないと思います。そういうことは実感として分かっているのになかなか実行できない。

 リーダー的なポジションにいる人で助けて、困っているというのが極端に下手な人がいます。原因の一つとして学校教育でできないことはダメなことだと評価されることがあると思います。クラスで学級委員なんかに選ばれる子は特に「しっかりしなさい、見本になりなさい」みたいなよく分からないプレッシャーをかけられることも多々あります。学校教育は素直になれないリーダーを作っているのかもしれません。

 ということは結局のところ、分からない、困っている、出来ないといえる場所を作っていくことが実はリーダーを作ることにつながるんじゃないかなと考えるようになりました。
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