ネットによって情報は平等になった?
ネットによって情報は誰にでも平等に手に入るようになった。という話を耳にしたことがあるかもしれませんが、本当に平等になったんでしょうか?誰でもアクセスできると、誰にでも手に入れることができるは実は微妙に違っている。
もちろん日本語サイトと英語サイトの数は圧倒的に差があるので、使える言語によって手に入れられる情報には差があるというのは間違いないがそういう話ではない。
たまに進学先の受験方法を聞かれることがある、試験内容なんかも聞かれることがある。ネットに載ってないのかなと思って検索するとすぐに見つかる。試験内容についてもヒントになりそうな情報はヒットする。
で、検索したか?と聞くと「していない」という子と、したけど「見つからなかった」という子がいる。この両者は違うように感じるかもしれないが、根本的には同じで、検索することが出来ないのである。1つの情報を得るときに直接的な言葉以外に、派生しているであろう言葉が必要になってくる。
関連づけるというのは実は意外と難しい、すっと検索できいる人からすると当たり前のことであってもやっていない人からすると難しい。アクセスできる環境があってもアクセスできるとは限らない。
で、ここで大事になってくるのは仮に自分で出来なくてもアクセスできるのが得意そうな人とつながっているかだと思う。この情報ならあの人に、という関連づけが出来ているか。
世界には処理できないほどの情報があふれているは事実だ。しかし、情報を自分と同じようにキャッチ出来ない人が多くいることは忘れてはいけない。簡単に「ググれ」とか自分で調べろと言ってしまうのは、生徒が誰でも自由にアクセスできるという思い込みが生み出してしまっているんだと思う。

ネットによって情報は誰にでも平等に手に入るようになった。という話を耳にしたことがあるかもしれませんが、本当に平等になったんでしょうか?誰でもアクセスできると、誰にでも手に入れることができるは実は微妙に違っている。
もちろん日本語サイトと英語サイトの数は圧倒的に差があるので、使える言語によって手に入れられる情報には差があるというのは間違いないがそういう話ではない。
たまに進学先の受験方法を聞かれることがある、試験内容なんかも聞かれることがある。ネットに載ってないのかなと思って検索するとすぐに見つかる。試験内容についてもヒントになりそうな情報はヒットする。
で、検索したか?と聞くと「していない」という子と、したけど「見つからなかった」という子がいる。この両者は違うように感じるかもしれないが、根本的には同じで、検索することが出来ないのである。1つの情報を得るときに直接的な言葉以外に、派生しているであろう言葉が必要になってくる。
関連づけるというのは実は意外と難しい、すっと検索できいる人からすると当たり前のことであってもやっていない人からすると難しい。アクセスできる環境があってもアクセスできるとは限らない。
で、ここで大事になってくるのは仮に自分で出来なくてもアクセスできるのが得意そうな人とつながっているかだと思う。この情報ならあの人に、という関連づけが出来ているか。
世界には処理できないほどの情報があふれているは事実だ。しかし、情報を自分と同じようにキャッチ出来ない人が多くいることは忘れてはいけない。簡単に「ググれ」とか自分で調べろと言ってしまうのは、生徒が誰でも自由にアクセスできるという思い込みが生み出してしまっているんだと思う。

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