『何のために「学ぶ」のか』を読んで

 様々なジャンルの学者が中高生に向けて、何のために学ぶのかというテーマで話されている本です。何のために学ぶのかについてなるほどなと思うことが多く書かれいます。僕は納得することが多かったです。で、読み終わって実際に生徒に勧めるかというと、きっと勧めません。

 なぜかというと何のために学ぶかという問いを持っている人には響くし、このメッセージを受け取ることはあっても、そもそも問いのない人には届かないし、響かないんだろうなと感じているからです。諦めるとかいうわけでなく、それが自然な姿だと思います。
 よく恩師の西川先生が例に出すんですが、いくら大事だとしても憲法を日本国民全員が読み込んでいることは不自然です。何のために「学ぶ」のか考える人、その人があいつが学んでるなら僕もと思われるか、一緒に学ぼうと巻き込めるのかが大事だと思います。
 教師が学ぶ意味や学ぶことの楽しさを伝えることは無駄ではないかもしれません。ただ、友達の「一緒にやろう」のほうが学ぶ可能性が高いことは間違いありません。

 僕の学ぶ理由の引き出しは増えましたし、教室にさりげなく置いておくのはいいなと思いましたが、何のために学ぶのかを全員に伝えることが出来ると思うのは、不自然なことだなと感じてしまいました。

「馬を水飲み場に連れて行くことは出来る、ただ飲ませることは出来ない。」をイメージした写真です。
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