ズームバックオチアイ 祝祭論

 ズームバックオチアイ最終回は祝祭論でした。人はなぜ祝祭を求めるのか?非日常の体験?悦ばしい体験?実はそうではない側面があるということ。1983年の団地やニュータウンの建設と同時に多くの地域に祭りが生まれた。祭りをコミュニティの手段やつながりを作る手段として考えていたから。新しく住む場所で、人と人とのつながりを作るための手段として祭りが誕生した。同時にふるさと音頭なるものも2000以上、誕生した。歌詞の中にふれあい、ふるさと、村づくり、手と手をつないで、といったものが急増していきました。
 つまり、意図的にふるさとという意識を作り、ふるさと内での人と人のつながりを作ろうとした。それはある程度の効果を発揮して、多くの場所で祭りが活発に行われた。しかし現在、そういった祭りでのつながりは希薄していっています。地元の祭りに参加する人は減り、地元の青年団に参加する人も年齢層がどんどん上がっています。お祭りに行きたいという感覚は薄れてきています。
 ふるさと、という共通項ではなく、同じ趣味を持つものの集まりへと変化しています。コミックマーケットやフェスといった祭りに集まる人は年々、増加しています。ただコロナという予想外の出来事により、リアルでの祝祭は制限をよぎなくされました。

 デジタルとリアル
 
 代わりにオンライン上での祝祭が多く開催され、多くの人がアバターで参加し、大きな話題となりました。人はオンラインであっても同じ時間に集まり時間を共有することで、人とつながっていることを感じるこが出来ます。天空の城ラピュタが放送される際に起きる「#バルス祭り」も時間を共有することで人が盛り上がることが出来る1つの例だといえます。
 ただ同時に多くの人がリアルでの祝祭も求めるようになりました。リアルで同じ場所に同じ時間に集まり、人の身体性に触れることで、人は癒やされるということも強く意識されるようになりました。
 デジタルだけで補うことの出来ないもの、デジタルで補うことができるものをうまく活用していくことが、これからの社会にとってますます必要になっていくことになると思います。


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