ズームバックオチアイ 世代論
 
 世代というと「分断」や「軋轢」という世代間の問題に注目がいくことが多いです。団塊世代、ゆとり、さとり、ニューノーマル世代などなど。世代の名称はキリがありません。確かに「普通」は集団によって決定されるので、同世代の集団で作られた「普通」を他に強制することで、ズレは起きる可能性があります。今までの価値観とは異なることは多くあります。ネット上への動画投稿、写真加工などを日常的に行うようになった世代の普通とフィルムカメラの世代では価値観が異なるのは自然なことです。
 ただし、昔は許されていたいう考え方に関しては間違っているというという視点がなるほどなと思わされた。「昔は許されていた ⇒ 声を上げていなかっただけ」の間違いで、マイノリティが声を上げられる道具が出来ただけで、昔からセクハラもパワハラも体罰も許されていたわけではない。問題の本質にようやく向き合い始めた。
 これは本当にそうだなと感じる事例が学校には大量にあるなと思っています。「体罰、校則、働き方など」学校に関する問題は声をあげる道具によって、社会がようやく向き合うようになったんだと感じています。

 今を楽しむ 

 今を楽しむというと短絡的な印象を受けるかもしれません。しかし、多くの若者は音楽を選択するとき1つの選択をした後は、同じ文脈で探すことなく、AIによるレコメンドによって曲を聴いていく。背景なんかは関係なく、耳心地のいい曲を楽しむ。音楽を楽しむという意味では「今を楽しむ」ことのほうが本質的といえるかもしれません。何がいい?どこがいい?どんな歴史があるのか?ということを追求することなく、今を楽しむ。
 そして本来は音楽を楽しむ姿勢にどっちがいいとかはあるわけではないですが、優劣や上下をつけたがります。そういうときに大切になってくるのはユニバースではなく、Pluriverse(多元的)という考え方。女性が妊娠などのライフイベントで休みがあるから出世できないという考えには、働き続ける人が出世するという考えがある。段差があるから車いすのために段差をなくさなくてはではなく、全員が車いすに乗るという発想があってもいい。
 そう考えると学校に全員が行かなくてはならないも、全員が学校に行かなくてもいい。といった世界も見えてくる。これから先の時代はますますそういった多元的な考え方が出来るかどうかが大切になってくるんだろうなと思いました。

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