私とは何か 「個人」から「分人」へ

 小説家の平野啓一郎さんが唱えている考え方、「分人主義」。好きな自分を見つけよう、自分を好きになろうといった「愛すべき自分」「ぶれない自分」を探す「個人主義」に対して本当の自分なんてあるの?そもそも本当の自分を探すのはしんどくないですか?という考え方。
 人は家族といる時、友達といる時、恋人といる時、職場の同僚といる時によって、自分を使い分けています。どの自分も嘘をついているわけではなく、自分です。職場の同僚と話す時と昔からの友達と話す時、意図的に使い分けることなく、自然と自分が発生していると思います。
 全ての場所の自分を同じものとして考えるのではなく、「分人」が発生していてうまく過ごしているんだからいいじゃないかという考え方。
 実際に平野さんのインタビュー記事を読んで見て下さい。凄く楽になると思います。




 人によって態度を変えるべきではないという指導に対する違和感

 この「分人」という考え方を支持する僕としては、学校でよくある先生によって態度を変えるなという指導にどうも違和感を覚えます。どの先生にも同じように接するというのは、正しい態度のように言われることがありますが、先生を同じモノとして扱っている気がします。子どもという子どもがいないように先生という先生もいません。
 ということは、A先生とAくんの間にお互いの分人が存在するし、存在するのが普通だと思います。A先生とBくんの間には違う分人が存在する。それが人と人の関係として自然なことだと思います。それをまとめて「人によって態度を変えるのは良くない」というのは人を無機質で無個性なモノとして扱ってしまっている感覚を持ってしまいます。

 個性を大切にする、本当の自分を探すという言葉によって追い詰められている人も多くいるように感じる。一度、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』読んで、「分人」という考え方をぜひ知って欲しいと思う。とてもいい本だった。

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