『日本人の9割が知らない遺伝の真実』

 突然ですが、僕は実は足があまり速くありません。小学校から徒競走とかほんとに嫌いでした。みんなで走って順位が決められて秒数まで発表されて本当に嫌でした。ただ、走るのが遅いからと言って一生懸命に走っていれば誰かに怒られるということはありません。しかし、もしテストの点数が低かったらどうでしょう?一生懸命にやっていたとしても先生や保護者に怒られる可能性があります。

 なぜか走るのが遅くて順位が悪くても仕方ないけれど、点数が低いのは勉強していないからだという扱いをうけてしまいます。
運動能力や体格は遺伝なので仕方ないけれど、テストの点数を取るのは本人の努力が足りない。これって本当にそうなんでしょうか?

 知能とは何か?

 知能とはたびたび何か?という議論を見かけます。知能の定義が曖昧なまま議論をしてしまい、交わらないまま終わることがたびたびあります。筆者の「知能」の定義はシンプルです。「知能検査で測られる能力」が知能です。知能指数(IQ)という言葉で見たことがあるかもしれません。
 知能は運動能力と同じように遺伝に影響されます。つまり、努力しているかどうかは関係ないのです。テストの成績が悪いのは努力していない人が悪いという自己責任論は正しくないのです。

 もちろん走るのが遅い子に走り方を指導したりすることで多少のタイムが速くなるように勉強も多少の変化はあります。しかし一生懸命走って50㍍を9秒台の子を7秒台には出来ません。知能も同じです。しかし、知能に関しては多くの人が努力すれば何とかなる、サボっているからだと言って本人に責任を求めます。実際には知能は7割以上が本人のどうしようもないところで決まっています。
 飲み込みの早さややる気のリズム、どんな教え方があっているか、どんなやり方があっているかも全員が違っています。それなのに同じ授業を受けているのだから差がつくのは努力が足りていないとしてしまうのは本当に正しいのでしょうか??

 教育とは白紙に絵を描き込むものではない

 教育の説明をするときに、よく真っ白い紙に自分で何かを描き込んでいくといった説明がされることがあります。しかし実際は内在する資質をあぶり出させ、適切な方向付けをすることだと筆者は述べています。もちろん何が表出していないかを見つけ出すのは難しいです。教師や保護者だけの視点では本人の内在しているものを見つけられない可能性があります。
 では、どうするか。多くの人の目によって可能性を探る、そして多くのことに挑戦できる環境を作ることが必要なんだと思います。

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