はっきりと分かれるなんてありえない
 学校で大人しいグループ、活発なグループ、静かなグループなど一括りにして会話している場面に遭遇することがあります。僕自身もそうやってグループ分けのようなことを無意識にしていたことがあります。しかし、はっきりと分かれることなんて本来ありえません。グループも流動的なものです。固定化されたグループというのは表面的なものに過ぎないと思います。グラデーションがあるのが自然な形だと思います。同様に目標というのも個人によって異なります。どんな目標を持っているのか、その目標がいいのか悪いのかを決めるのは教師ではないです。むしろ自分の位置を理解し目標をたてる能力のほうが大事ではないでしょうか。ランニングを開始して数日の人の目標が2時間台で走り切るでは目標として成立していません。自分の位置を正確に把握し目標を達成するために何をどんな風に学ぶのかを考える力が大切なんだと思います。

 情報量の多さが判断力につながる
 生徒個人のことを変えたり生徒が抱えている問題を教師一人で解決は出来ません。生徒のことを抱え込んでしまうのは誰にとっても得にはなりません。ただし生徒の様子を見ること、声をかけて生徒の情報を得ることは大切です。生徒をどうにかするために情報を得るわけではありません。自分の判断の根拠となる情報を得ることが大切なんだと思います。やる気がないように見えるなら聞けばいいのだと思います。最初から情報を得ることなく決めつけて指導するということがあまりに多い気がします。

 選択肢を与えるとはどういうことか。 
 どんなふうに学ぶのか、学び方を身に付けるとはどういうことなのか。自分自身で考えてみるとよく分かると思います。仕事を進めている中で分からないことが出てきた時にネットで調べる、同僚に聞く、友人に聞く、本を読むのどれを選ぶかは問題によって異なります。絶対に本から情報を得なさいと言われたらどうでしょうか。僕なら嫌です。確実に効率が悪くなります。勉強をする時にネットで検索する(スタディサプリ、YouTube)だけでいいでしょうか。他に先生に聞く、友達に聞くなどがあったほうが学びやすいと思いませんか。学び方を身に付けるとは選択する力を身に付けるということでもあります。管理された中で決まったものだけを使って学んでいくことで果たして学び方を学べるのでしょうか。まずは教師が様々な学び方をしている子どもの姿を認めることから始まるのだと思います。

グラデーション