少しだけなら大丈夫
今日はふと道に停めている車を見かけた。完全に違法駐車だったが運転手はすぐに出て来て車はいなくなった。少しだけなら大丈夫だと思って停車したのだろう。別にその駐車を責めたいわけではない。ただそういう状況を見るとある小説が頭に浮かぶ。

『乱反射』貫井徳郎から考える「罪」とは何か
以前に読んだ感想はこちらです(http://blog.livedoor.jp/ryou5885/archives/12680644.html)
小説のあらすじはAmazonから引用させてもらいます。
かなり考えさせられる小説でぜひ読んでほしいのですが小説の中に出てくる全員が自分のしたことくらいなら誰かに責められるほどのことではないと思っています。小説の中では違法駐車が原因で渋滞が発生し救急車が遅れてしまうという最悪の事態になります。そんなことは小説の中やドラマの中だけしか起こらないと言い切れるのでしょうか?人は生きている中で間違いなく「罪」を犯しながら生きています。小説の中でも子どもを失った父親が持ち込みゴミをサービスエリアで捨てた時に自分も罪を犯していることに気づきます。分別せずにゴミをゴミ箱に捨てたことはありませんか。法律上の罪だけが罪なのでしょうか?何気ない言葉が誰かを傷つけ誰かの大切なものを奪っていることだったあります。ネット上では多くの人が正義を振りかざして罪を攻め立てます。まるで自分は何の罪も犯したことがないように。
『ガンディー獄中からの手紙』でガンディーはこう書いています。
罪を感じながら生きなくてはならないとは思っていませんが人を攻撃してしまいそうな時、攻めてしまいそうになった時、自分も罪を犯しているということを自覚できるかどうかで言葉はきっと変わると思います。
今日はふと道に停めている車を見かけた。完全に違法駐車だったが運転手はすぐに出て来て車はいなくなった。少しだけなら大丈夫だと思って停車したのだろう。別にその駐車を責めたいわけではない。ただそういう状況を見るとある小説が頭に浮かぶ。

『乱反射』貫井徳郎から考える「罪」とは何か
以前に読んだ感想はこちらです(http://blog.livedoor.jp/ryou5885/archives/12680644.html)
小説のあらすじはAmazonから引用させてもらいます。
幼い命を死に追いやった、裁けぬ殺人とは? 街路樹伐採の反対運動を起こす主婦、職務怠慢なアルバイト医、救急外来の常習者、飼犬の糞を放置する定年退職者……小市民たちのエゴイズムが交錯した果てに、悲劇は起こる。残された新聞記者の父親が辿り着いた真相は、法では裁けない「罪」の連鎖だった!ドラマ化、映画化もされていました。(https://www.nagoyatv.com/ranhansya/special/)
かなり考えさせられる小説でぜひ読んでほしいのですが小説の中に出てくる全員が自分のしたことくらいなら誰かに責められるほどのことではないと思っています。小説の中では違法駐車が原因で渋滞が発生し救急車が遅れてしまうという最悪の事態になります。そんなことは小説の中やドラマの中だけしか起こらないと言い切れるのでしょうか?人は生きている中で間違いなく「罪」を犯しながら生きています。小説の中でも子どもを失った父親が持ち込みゴミをサービスエリアで捨てた時に自分も罪を犯していることに気づきます。分別せずにゴミをゴミ箱に捨てたことはありませんか。法律上の罪だけが罪なのでしょうか?何気ない言葉が誰かを傷つけ誰かの大切なものを奪っていることだったあります。ネット上では多くの人が正義を振りかざして罪を攻め立てます。まるで自分は何の罪も犯したことがないように。
『ガンディー獄中からの手紙』でガンディーはこう書いています。
わたしたちが身を置く場には、幾百万という微生物が棲息していて、わたしたちがそこにいるというだけで被害をこうむります。それでは、わたしたちはどのように身を処せばよいのでしょうか。自殺をすればよいのでしょうか。そんなことをしても、なんの解決にもなりません
罪を感じながら生きなくてはならないとは思っていませんが人を攻撃してしまいそうな時、攻めてしまいそうになった時、自分も罪を犯しているということを自覚できるかどうかで言葉はきっと変わると思います。
参考
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