将棋が強いことに対する憧れ

 将棋をかなり熱心にやった経験も将棋教室に通ったこともないがなぜか将棋が強い人への憧れがある。自分の将棋の実力はかなり低い。ネット将棋の初級レベルで精一杯くらいだ。人と対戦してもあまり勝った記憶がない。だからなのか将棋が強い人への憧れや尊敬が昔からある。もちろん羽生さんの存在も大きい。しかし、なぜ将棋が強い人に憧れるのかを考えてみた。

 ニューヒーロー藤井聡太

先日、最年少で二冠を達成した藤井聡太棋士がスポーツ雑誌Numberで特集された。「藤井聡太と将棋の天才。」早速、購入し読んでみた。藤井くんは将棋の世界の最年少記録を更新し続けている。今年で高校3年生になる藤井君は中学生でプロ棋士となり活躍している。インタビューを観ていても自分の言葉を探し話している。つい自分と比較して考えてしまい藤井棋士に憧れを抱くのだろう。若い才能をうらやましいと感じても得することはない。にも関わらず多くの人が憧れてしまう。

 工業化社会の価値観

 よく考えると将棋の凄さを分かっていない私がなぜ凄いと思うか。みんなが凄いと思うからという理由でしかないのだ。あの場面であの一手がさせるなんて凄いなんてことは人が解説しない限り分からない。AIが最初は悪手だとした手が6億通り分析した結果、最善の一手だった。とかを聞くと凄いなぁと感じるが自分では分からない。ほとんどの人がそうやって藤井棋士が凄いと思い込んでいる。ちなみに将棋の参加人口は2018年の調査結果では約680万人といわれているのでその中でトップに位置するのは凄い。(レジャー白書2019https://www.jpc-net.jp/research/detail/002739.html
 ただ多くの人がやっていて多くの人が凄いと感じるものを凄いと考える思考は完全に工業化社会の思考なだと分かっていながらいまだにその思考から脱却できない自分がいる。