鹿の王 水底の橋
上橋 菜穂子
2019-03-27


『鹿の王』シリーズの続編ですが物語の展開は完全に新作といっていい内容でした。

作品を通して感じたこと「歩いている道が違っていても行き先が同じであればいい。」

なぜこれが響いたかというと僕が関わる教育についてもいろんな手法や考え方があり、違う方法や考え方のことを疑ったり批判したりする姿を見かけるからです。


僕はどんな形であっても子どもの幸せを願うという行き先が同じであればいいんじゃないかと思っています。

小説の中では医療に対する姿勢でしたがどこにでも共通するなと感じたので心に残りました。


小説では人の死に対する二つの考え方が出てきたように思いました。

・死を受け入れどう最後を迎えるかを考えるべき

・死を最後まで諦めることになく生きることにこだわるべき


しかし、この「どう死ぬか」「どう生きるか」の二つはまったく違うようでつながっています。


人は命をコントロールしようと努力してきました。

人が死ぬ理由を突き詰め、病気と名付け克服する手段を研究し続けています。


研究の結果、人の平均寿命は飛躍的に伸びています。


ただしどんなに研究が進んでも死は生物に必ず訪れます。

僕も1分後に死ぬかもしれないし何十年後に死ぬかもしれない。


命がなくなることにに理由などあるはずもありません。


それなのに人は死の理由を探し求め、死んだ後のことを考え理解しようとしてきました。

人だけが自分の命を自分のもののように思っているのだと思います。

だから人は命をどうするか自分で選択できると思ってしまっている気がします。


命を断ち切ることも伸ばすことも本来はコントロール出来るものではありません。

それでも人は人が命をコントロールすることが幸せになると信じて追い求めています。


本当に命が自由にコントロールできる世界は幸せなんでしょうか?

もちろん多くの病気で苦しむ人の姿を見てどうにかしたいと思う人は尊く素晴らしいと思います。

どうやっても死ぬのだから抵抗しても仕方ないと言いたいわけではなく命と向き合うことを諦めてはいけないということです。


今年は人の努力をあざ笑うかのように感染症が命を奪っていきました。

感染症は人が人と関わることで広がる病気です。

言い換えると人が人して生きるから広がる病気です。

人として生きる以上、感染症は避けることが出来ない病なのかもしれません。


人が幸せに生き、死を迎えるためには医療の発展も死を受け入れることも必要でどちらもタイトルにある「水底」でつながっているんだな。

そんなことを思いながら読み終えました。

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