すごくハードルの高いタイトルをつけどう着地できるか不安なまま書いてます。


夏休みが終わるにあたって未成年の自殺、不登校がニュースで取り上げられています。


全体的な雰囲気として学校に行かなくてもいい。という雰囲気を感じています。

学ぶにはいろんな選択肢があるよ。という雰囲気を感じています。


僕は大きく賛成です。


その前提でなぜ学校に行かないことが否定的にとらえられるのかを考えてみました。


・受け継がれた価値観

日本の義務教育制度は1872年の学制から始まったと言われています。

しかし、当初は有償であったため親の経済的負担などから就学率が悪かった。

子どもは労働力として欠かせない存在でした。

とくに第一次産業を中心とした仕事では子どもが出来る仕事も多く子どもが働くことで家族が豊かになるというメリットがありました。


つまり、学校に行きたくても行けない子どもがいたが同時に学校に行かないという選択肢もあり、選ぶと親に感謝された。

その後、日本の近代化が進み工業化された社会に変化していくと工場で働く人手が大量に必要になってきた。

しかも同じように動く統制の取れた集団が。

そこで義務教育が無償化され、国民の就学率9割を超えるようになった。

その結果、学校に行き卒業し就職することが家庭にとってもメリットになった。

無償で面倒を見てくれて最終的には仕事も与えてくれる。

行かせたほうが得!!

行かせないなんてありえない、行かないなんて選択肢を与えない。

家庭にとって大きなメリットがあるので子どもは学校に行きたくなくても行かなければならない状態になった。

1900年くらいからなので今から120年前です。

もちろんこの初期の時代に生まれた人は生きていませんが、学校に行くことに大きなメリットがある時代はかなり長い期間続きます。

具体的にはベビーブームのころかなと思います。

その世代の人たちの多くは学校に行くことによるメリットを強く感じています。

もちろん上の世代であればあるほど感じていると思います。

最初にも書いた通り学校に行けば大丈夫という価値観は間違いなく薄れてきています。

ただメリットを受けた世代からすると学校に行かなくても大丈夫とはなかなかなりません。


なので圧倒的な善意からメチャクチャ心配します。

親、親戚、祖父母は子どものために「学校に行ったほうがいいんじゃないか」と言います。

世間体で言うこともあるかもしれませんがほとんどの場合は悪気のない善意だと思っています。

夏休みに祖父母は学校の様子を聞くのを楽しみにしているのです。

自分が経験した学校という共通体験を分かち合いたいのです。

運動場で友達と遊んだ楽しい思い出を共有したいのです。

行かないなんてもったいないのです。

そこに悪気はないんです、子どもを追い詰める気なんてないんです。

自分が楽しかったことを子どもにも経験してほしいのです。

悪意のない強制 → これが受け継がれてしまっている気がします。

学校に行きなさいという人には自分が楽しかった経験を子どもにもしてほしい。

本当に子どもの思いを感じていますか?

自分の学校に対する価値観を正しいと思って押し付けていませんか?

楽しい経験をしたことが多い教師はそうなっていませんか?

なぜ学校に行きなさいと言う人がいるのか?の僕なりの解釈です。